JR櫟本(いちのもと)駅をスタートし、上ツ道沿いの古い街並みを眺めながら、櫟本周辺の“いいところ”を見つけて楽しむコースです。
コース途中には「伝・山の辺の道」や「サムライ街道」といった地元に古くから伝わる道や、かつての豪族、和爾一族由来の史跡も点在しています。
定番のハイキングコースとなっている山の辺の道とは一味違った魅力を楽しめることでしょう。
櫟本駅の駅舎は、一八九八年の創業以来、ほぼ当時の姿で立っています。 国内でもかなり古い現役木造駅舎のひとつで、外壁や柱、瓦屋根、曲線の細工に、明治建築の名残が見られます。 跨線橋も木造。支える鉄柱はなんと古いレール。またホーム下層に見えるのは、当時のレンガ積み。 百年生きたお爺さん駅舎が見守るなか、今日も人々を乗せた列車が走っています。。
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『日本書紀』崇神天皇十年の条に出てくる、古い神社です。明治維新から昭和31年までは「五十狭芹彦(いさせりひこ)神社」と呼ばれていました。祭神の五十狭芹彦命は孝霊天皇の皇子で、鬼子母神を本地とすることから、子供の守護神として、また子授けの神として崇敬されています。また、境内には8代目市川団十郎が奉納した実増井(三枡井・みますい)の井筒があり、井戸水は子供を授かる霊水といわれています。。
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JR櫟本駅から直線で約1.4㎞。駅から東へ進み、小高い所にある和爾の集落の最も高いところに鎮座しています。 和爾の集落は5世紀後半から6世紀中頃にかけて、9人の后妃を出したといわれる「ワニ(和爾)」氏の本拠があった場所と言われ、日本書紀記載の「和爾坂」もこの近辺にあったものと考えられています。 元は集落の東方、小字「天神」に社地があったと伝えられ、その西に宮前という地名が残っています。 赤坂比古とは、主神阿田賀田須命(あだかたすのみこと)の別名とされ、和爾神ともいいます。東大寺二月堂の「神明帳」には和爾大明神との記載があり、この神のことを指しています。 現在は、阿田賀田須命の他に市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。 本殿は檜皮葺春日造りで、例祭は9月24日です。 境内には他に末社の春日大社と八幡神社があります。江戸時代まで常薬寺がありましたが、明治初年に廃寺となり、仏像は隣の善福寺に移されたそうです。 (天理市観光協会ホームページより抜粋)。
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古墳(古墳時代前期)の上に所在します。本社大己貴命(一名大国主命)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、稲田姫命が祀られています。本殿は、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺で桃山時代の様式をそなえ、国の重要文化財に指定されています。毎年、7月14日に祇園祭、10月第2日曜日には秋祭りが行われ、屋台などで賑わいます。 。
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「まなぶ・むすぶ・つどう」をコンセプトに大小会議室をはじめ、和室や自習室、図書室、 遊戯室を設けており、個人でもグループでもいろいろな用途で、気軽にご利用いただけます。 八角形のユニークなフォルムの新館には料理室やくつろぎスペース、地域の特産品紹介や 販売コーナーもあります。 。
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櫟本駅の駅舎は、一八九八年の創業以来、ほぼ当時の姿で立っています。 国内でもかなり古い現役木造駅舎のひとつで、外壁や柱、瓦屋根、曲線の細工に、明治建築の名残が見られます。 跨線橋も木造。支える鉄柱はなんと古いレール。またホーム下層に見えるのは、当時のレンガ積み。 百年生きたお爺さん駅舎が見守るなか、今日も人々を乗せた列車が走っています。。
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